新型コロナウィルス闘病記 -発症から入院・退院までの実録-

2021年8月、日本は新型コロナウィルスの第5波に見舞われ、連日多くの新規感染者の報道が続くようになりました。

新型コロナウイルスの中でも「デルタ型」と呼ばれる感染力の高い変異株が猛威を振るい、過去の感染流行よりも感染速度が速く、若年層の感染も多くなったことで、連日のように1日当たりの感染者数が過去最高の報道でした。

そんな第5波の中、私自身も新型コロナウィルスに感染してしまい、約2週間の闘病・入院生活を送ることになりました。

このブログは主に園芸のテーマを取り扱っているので、このコロナウィルス闘病記の記事を投稿しようか迷いました。

しかし、新型コロナウィルスが非常に怖いウィルスであること、そしてまだ感染していない方々に今後の行動の見直し (外出の自粛など) を啓発できるものにならないかと思い、私自身のコロナウィルス闘病記を記事にすることにしました。

ただし、新型コロナウィルスの症状は人それぞれで、熱もそれほど上がらない方もいれば、高熱が何日も続く場合もあります。この記事の闘病記は、私の症状を記録した闘病記になりますが、40歳以下の若い世代でもこれだけ厳しい闘病をすることになる可能性があることはお伝えできると思います。

本当に辛い闘病期間でした。

本記事については、私の入院してた市および病院名については記載を控えさせていただきます。ご了承いただけますよう、よろしくお願い致します。また、この記事は筆者が闘病中にスマホに記録していた症状や容態を基にして作成しております。


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2021年8月14日:発症 -地獄の始まり-

体に最初の症状が出たのは、2021年8月14日の朝でした。

いつも通りベッドから起きると、喉に違和感があり、少しだけ咳が出ました。

それに加えて、37.1℃の微熱がある状態でした。

「夏風邪でも引いたかな?」と思いながらも…「まさか新型コロナウイルスでは無いよな」と言うのが、その時に率直に思っていた事でした。

しかしながら、時間が経つにつれて体温がどんどん上昇していき、同日のお昼前には体温が38.3℃に…。

「これはまずいかもしれない」と思い、自らが家族と別室に隔離して、水分補給をしながらベッドで静養していました。

その後も体温は上がり続け、夕方には39℃を越えていくようになりました。

39℃以上の体温になると、関節の節々に痛みが出てくるだけでは無く、筋肉の痛みも強くなり、寝る事さえも困難な状況になりました。

結局あまり寝付くことが出来ぬまま、次の日を迎えることとなります。

発症2日目:体温が40℃を越えていく

発症2日目の明け方になりますが、意識がはっきりとしない中で体温が40℃を越えていきました。

大人になってから、40℃以上の高体温になったことはありませんでした。

子供の頃にインフルエンザで40℃を越えたことがありますが、それ以来の体温40℃越えだと記憶しています。

目が回って、トイレに向かおうとしても、フラフラしてしまい危ない状況…。

少し行動するだけで吐き気が出ることも有り、生きている心地が全くしない時間でした。

さすがに身の危険を感じ、直ぐに自宅にあった解熱剤 (頓服) を服用し、何とか39℃以下に体温を少し下げていくことには成功しました。しかし、解熱剤の効果が切れると同時に、再び強烈な寒気が発生し熱がぐんぐん上昇し、体温は40℃付近に戻ってしまう症状でした。解熱の効果は一時的で、基本の体温が40℃近くになっているような状態です。

そして、「これは単なる夏風邪ではない」と感じ、妻にPCR検査の手配を依頼しました。

8月15日が日曜日だったので、どこのPCR検査場も一杯ということで、翌日の8月16日 (月) に近くの病院でPCR検査を受けさせてもらえることになりました。

「この熱が新型コロナウィルスによるものなのか?、別の原因によるものなのか?を早く切り分けて適切な治療を開始したい」というその一心でした。

しかし、PCR検査は、比較的スムーズに受けさせてもらえるというイメージがあったのですが、コロナウイルスの大流行によって、どこのPCR検査場も希望者で溢れてしまっている状況。多少熱があっても、なかなか検査の順番を回してもらえない状況だったのです。

テレビで報道されていた通り、「PCR検査を受けることも困難」という状況…それはまさに身の回りで起きている現実だったのです。

しかし、私の場合には体温が非常に高く、直ぐにPCR検査をした方が良いということとなり、病院の判断で優先的にPCR検査の順番を回していただけることとなりました。PCR検査を自由に受けられないこと自体が想定外のことでありましたが、柔軟に対応していただいた病院のスタッフに本当に感謝しました。

「熱は無いけれど自主的にPCR検査を受けに来ている方々」も多いということで、それらの方々の順番の間に、私の検査を割り込んでもらえたのだと思います。


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発症3日目:PCR検査を実施 (体温は下がらず)

発症から3日目も体温は変わらず39.5℃から40℃付近で安定していました。

解熱剤は家に備蓄してある分がありましたが、「あまりたくさん服用してはいけない」と思い、食事や水分を摂取したい時に合わせて適宜使用していました。

その解熱剤の服用後だけ、体温が38℃付近まで下がってくれましたが、時間にして僅か約3時間から4時間程度です。

そして、解熱剤の効果が切れれば、再び体温が40℃へ向けて上がっていきます。

そんな厳しい中でしたが、前日に予約させていただいたPCR検査場へ行き、唾液によるPCR検査を受けました。また、同時に簡単な問診も行ってもらい、解熱剤や咳止めなどを出してもらう事ができました。

PCR検査の結果は翌日のお昼ごろになるということで、それまで再び自宅療養となりました。

自宅療養と言えど、体温が常に39.5℃以上ある状況です…。

「早く適切な医療が受けたい」、「入院出来れば入院したい」という強い願いがどんどん大きくなっていきました。

しかし、既に皆さんが御存じの通りですが、第5波の中ではコロナウイルス患者さんの多くは自宅療養が指示される状況です。

「本当に自分は大丈夫なんだろうか?」

「容態が急変して命の危機になるのではないだろうか?」

そんなことばかりを考えて自宅療養を続けることになります。

感染経路は明らかにならず…

PCR検査場での問診時に、発熱が始まる前の行動についても調査が行われました。

感染経路の特定のためですね。

しかし、2021年8月のお盆期間は、複数の台風が日本に上陸したことや雨雲が日本列島に停滞したことで、発症した8月14日の直前はほどんど外出をしていませんでした。

敢えて言えば、近くの海へ子供と堤防釣り出掛けましたが、人が密集しているわけでは無いですし、マスクも着用していたので感染経路と言えない状況でした。

他に出掛けたと言えば、近くの小さなお店に買い物に出たくらいです。

そのような状況であったため、今回の感染経路は「不明」となりました。

それはそれで、本当に怖い事だと思います。

デルタ株の感染力の強さを示している例なのかもしれません。

発症4日目:陽性の判定 (体温は下がらず)

40℃付近の高体温が続く中、4日目の朝を迎えました。

発熱が始まってからは、毎日明け方になると40℃の体温と筋肉痛に叩き起こされます。

夜寝る前に服用した解熱剤の効果が明け方に切れるため、体温の上昇によって節々が痛くなり目が覚めるという最悪の目覚めを繰り返していました。

そして、発症4日目のお昼ごろにPCR検査の結果が電話で伝えられ、結果は予想通りの「陽性判定」でした。

「そうだろうな」と思っていたとはいえ、現実を突きつけられると、とても辛い思いでいた。

それと同時に、

「今後の治療はどうすれば良いのか?」

「医療機関にお世話になることが出来るのか?」

「入院などは可能なのか?」

という色々な不明点ばかりが頭の中に浮かび上がってきました。

PCR検査を担当してくれた病院の医師からは「今後は保健所と治療方針を話し合っていただきます。この後、今日中に保健所から電話がありますので、家で待機しておいてください。」とのことでした。

しかし、その日は待てど待てど保健所からの電話がかかって来ませんでした。

感染者の急増によって、他にも対応すべき患者さんがたくさんいるために、保健所の対応もなかなか順番が回ってこなかったのだと思います。

悲しいことに、体温だけは39~40℃の間で安定しており、本当に辛い状況の中で自宅療養をして、保健所からの電話を待つしかありませんでした。

まだコロナウイルスに罹患されていない方々にお伝えしておきたいことですが、テレビの報道で放映されている通り、感染者の多い都市部の病院・保健所はコロナ罹患者の対応でパンク状態です。

それが現実・事実です。

私は自分の身を持って体験しました。

「自分が新型コロナウイルスに罹患しても、直ぐに病院や保健所に対応してもらえる。」という安易な考えは絶対に持ってはいけません。

それだけ、新型コロナウイルスに対する日本の都市部の医療は逼迫しています。

「自分が感染しないためには何をすべきなのか?」「感染を広げないためにはどう行動すべきなのか?」を考えて行動してください。


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発症5日目:容態の回復が見られず入院へ

発症から5日目、午前中に保健所の方から電話をいただくことができました。

発熱が起こった時からこれまでの体調の変化・経緯を全てお話しし、連日40℃以上の熱が続いていることもお伝えしました。

全く熱が下がる様子が無く高い体温が続いていること、血中酸素濃度も少し低いことから、「正直、危険な状態です。」との判断をいただきました。

そして、この電話の後に早急に入院先を探していただけるとのことになりました。

電話で容態を伝えた30分後に再び保健所から電話があり、入院先が決まったとの連絡をいただきました。

症状が危険な状態だったこともありましたが、とても迅速な対応をしていただけました。保健所の皆様、本当にありがとうございました。

自宅からも比較的近い病院で、コロナ対応していただける病床が確保できたとのこと。

本当に安心を感じたの瞬間でした。

不謹慎な言い方かもしれませんが「これで助けてもらえる…」と率直に思いました。

私だけでは無く、家族・親族にも安心をしてもらえました。

正直、40℃近い熱が5日間も続くような症状を、適切な薬も無い状況で、個人の自宅療養でどうにかできる訳が無いのです…。

病床確保の連絡が入ってから約1時間後、高体温で意識がはっきりしない中でしたが、病院に救急搬送していただきました。

今、この記事を書きながら思うことは、これだけスムーズに病床を用意してもらえたのは本当に「運」が良かったということです。

体温が38℃でも血中酸素濃度に問題がなければ、基本的にコロナ患者は自宅療養となります。しかし、軽症であっても急な容態変化で危険な状態に変化する可能性があるのがコロナウイルスです。

病床を用意してもらえたことは嬉しかったのですが、病院に入れない方々が多くいることを考えると、素直に喜ぶことはできません。

「与えていただいた入院の機会を大切に、全力で回復に向けた闘病をしないといけない。」と感じた瞬間でもありました。

入院直後になりますが、担当していただいた主治医の先生からは「治療には約2週間くらいはかなります。」と伝えられました。

「そんなに長期の入院になるの?」とその時は思いましたが、ここから本当に長いコロナウイルスとの闘いが始まっていったのでした。

入院直後から新型コロナウイルスの治療開始

病院に到着すると、物々しい雰囲気でビニールシートが張られた廊下に誘導され、その中にある個室へ案内していただきました。

基本的に病室から出ることは禁止 (シャワーやトイレ以外は外に出られない) 、他の患者さんとの接触は一切無しと言う徹底した管理体制でした。

病室は陰圧にコントロールされ、コロナ病棟の空気が病院内には拡散しないようになっています。

その後、病院着に着替えると、早々にコロナウイルスの治療が始まりました。

点滴によって「レムデシビル」の投与を開始していただき、同時に採血検査を行いました。

また、点滴終了後にはCTスキャンで肺の状態を確認していただきました。

CTスキャンで肺炎の進行が確認される

CTスキャンに入ることも人生で初めての事でした。

大学の授業でCTスキャンの原理や装置の構成などを学びましたが、見ることが初めてでしたし、自分が検査されるのも初めての事でした。

このCTスキャンによる肺の検査の結果ですが、直ちに呼吸困難になるレベルではないが、肺が白く変色し肺炎が進行していることが確認されました。

高熱を抑え込む治療・薬に加えて、肺炎に対する治療も必要になりました。

血液検査で重度の脱水症状が告げられる

CTスキャン並行して血液検査を実施していただいたのですが、「血液検査をして本当に良かった」と思う結果が告げられました。

実は、病院に搬送された時点で、知らぬ間に「重度の脱水症状」になっていたのです。

入院前の自宅療養中には、毎日スポーツドリンクを2リットル以上飲んでいました。しかし、それ以上に発汗量が多く、水分補給量が全然足りていなかったようです。

体温が高かったことも影響したと思いますが、脱水の自覚症状が全く無かったため、あと数日放置していたら、脱水症状でまずい状態になっていたかもしれません。

重大な症状になる前に、病院で詳細な検査をしていただいて本当に良かったです。

この脱水症状を回復させるため、入院から毎日、点滴による水分補給を実施していただきました。

発症6日目:味覚・臭覚が完全に失われる

新柄コロナウイルスの流行が始まったころから、新型コロナウイルスに感染すると「味覚が失われる症状が出る」というのが頻繁に報道されていました。

私自身もこの症状が出るのが怖かったのですが、発熱があった日から徐々に味覚が失われていき、6日目になり完全に食べ物・飲み物の味がしなくなりました。

入院前の自宅療養の時点でもスポーツドリンクやお茶の味が感じられなくなっていることを自覚していましたが、完全に味覚・臭覚が失われれるとは思ってもみませんでした。

本当に「味」と「香り」が無くなるんです。

食事の際には、鼻をつまんで食事をしているような状態です。

より詳細に説明をすると…

食べ物が持つ「甘さ」や「塩辛さ」は舌の感覚で何となく少し判別が付きました。

例えば、チョコレートを口にすれば「これは甘い食べ物なんだ」という判断はできました。しかし、チョコレートに特有のカカオの風味が全く感じられません。

また、療養中はアクエリアスを大量に飲んでいたのですが、アクエリアスが少し甘みをもつ飲み物であることは感じることが出来るのですが、アクエリアス独特の風味はわかりませんでした。「甘みのある水」を飲んでいるだけの様なイメージです。

また、病院食で野菜のワサビ和えが出されたのですが、ワサビ和えを口に入れると「しょっぱい食べ物なんだろうな」という認識は出来るのですが、ワサビの風味も野菜の味もしませんでした。

つまり、その食べ物や飲み物が持つ独特の風味を完全に感じることが出来なくなっており、かろうじて「甘さ」や「塩辛さ」が感じられる程度なのです。

そのような状況ですので、シャンプーや歯磨粉の香りも一切しません。

部屋の臭いや病院の中の香りも全く感じ取れませんでした。

まさに「香り」と「味」が失われた世界で生活をするような状況になってしまったのです。

この味覚・臭覚の異常がいつまで続くのか、本当に心配になった日であったのを今でも覚えています。後でも記載しますが、退院をする頃になって、徐々に味覚・臭覚が回復傾向になりました。約2週間、味覚・臭覚の無い状態が続いたことになります。

発症7日目:ステロイドのお陰で39℃以上の高体温が無くなる

入院した直後に、主治医の先生から「体温が乱高下するのは体力を失うし、とても体に負担がかかるので、できれば常に低い体温を保ちましょう」という治療方針をいただき、少し多めにステロイドを使用していくことになりました。

その結果、入院をしてからは39℃を越えるような高体温になることは無くなりました。

自宅療養中に常に39℃~40℃の体温だったことを考えると、39℃以上の体温が出なくなったのは、本当に体が楽に感じられました。

体温が低い時間帯であれば、病院食もしっかりと食べられるようになり、久しぶりに固形食が食べられるようになりました。

また、2回目の血液検査を行った結果、脱水症状は確実に回復している事、そして血の状態も入院当初よりも回復状態にあるとの診察結果をいただきました。

少しずつではありますが、回復の兆しが見えているようで嬉しかった。

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発症8, 9日目:病状は安定するも発熱は継続・便秘は解消

発熱が始まってから1週間以上が経過し、病院での服薬・点滴を続けていきましたが、それでも完全に熱が引かない状況が続きました。

調子が良い時は36℃台の平熱になっている時間帯も徐々に見られるようになりましたが、それでも37℃以上の熱が出たり、時には38℃近くになることも…。

その都度、主治医の先生に薬の量を調整していただき、体に負担の無い管理をしていただきました。

これだけ長く熱が続いたという事は、人生の中でもほとんど経験がありません。

レムデシビルという新型コロナウイルスの薬を使っても、ステロイドを使っても、熱がなかなか下がりきらない状況を考えると、新型コロナウイルスの怖さをあらためて身に感じます。

また、同時期になりますが、咳の量が増えてきたことも気になりました。

発症の当初はあまり咳が出ていなかったのですが、闘病7日目くらいから空咳が頻繁に出るようになったのです。

その後、8日目、9日目と咳が出る症状が顕著になり、咳止めやトローチの処方もしていただきました。

痰が絡むような咳では無いのですが、特に明け方から午前中にかけて咳が頻発し、息苦しさを感じて闘病生活を送っていました。

まさに「一難去ってまた一難」です。

ただ、8日目に嬉しいことが一つありました。入院以来4日間の間、便が全く出ていなかったのですが、整腸剤の投入をしていただき便通が再開しました。

主治医の先生いわく、「コロナウイルスの患者さんは、基本的にベットの上で寝たきりになるので、運動不足もあり便通が悪くなる。」とのことでした。私もその例外に外れることなく便秘になり、全く便が出なかったんです。

先生にも相談し、体に負担の無い範囲で便通を促して、入院4日目の夜に初めて病院で便が出るようになりました。

そんな些細な事ですが、体長が回復した一つの事であり、一安心でした。

発症10~13日目:血液状態が戻らず、咳も継続状態

発症から約2週間が経とうとしていますが、血液検査の結果を見ても、各値が正常値には戻ってこない状況でした。

引き続き、レムデシビルによる治療を継続していただいていますが、正常値にはなかなか戻りません。

咳がさらに出るようになり、少し声を張ろうとすると、それと同時に咳が出てしまうような症状となりました。

また、味覚・臭覚障害も継続中です。

主治医の先生からは「体内のコロナウイルスによるものだと考えられます」と伺いましたが、「これはコロナから回復した後も長く続き、後遺症としてしばらく残ってしまうのかもしれません。」とのことでした。

ただ、発症した当初から比べると、体温や倦怠感の観点では確実に体調は良くなっております。

特に体温が下がっていることで体力が奪われなくなりましたし、味はしませんが食事も喉を用意に通るようになりました。

「早く家に帰りたいなぁ…」そんな思いが強くなった時期でした。

そして、なかなか完全に体調が回復しない中でしたが、主治医の先生から言われた一言に、コロナ禍での厳しい医療現場の現状が感じられたので紹介させていただきます。

入院生活が続き、いつ退院できる分からない状況であった時に言われた一言です。

「今の状態でもある程度は体長が回復しているので、薬を処方して自宅療養に切り替えていくことは可能かもしれません。しかし、もしも自宅療養に戻して再び体温が上がってしまったら、もう次に入れる病床は無いと思って下さい。だからこそ、不安な症状が無くなるまで完全に治して退院してください。あと少しの辛抱なので、頑張りましょう!」

入院生活がどこまで長くなるのか不安を覚えていた時期でしたが、この一言は「しっかり頑張ろう」とあらためて思い立たせてくれた一言でした。

発症から17日目に退院の許可 / 味覚も回復傾向に

熱が出たのが8月14日、それから2週間以上が経過しました。

病院でレムデシビルやステロイドの投与を継続していただいたことで、血液の状態が明確に回復しました。

毎回の血液検査でなかなか各種数値が元に戻らない日々が続き心配だったのですが、時間の経過とともに少しずつ確実に正常値に戻っていきました。

ステロイドの量は自宅療養が可能なレベルまで下げる事ができ、ステロイドを減らしても熱が上がらなくなったのです。

また、肺の音も正常な状態に回復していました。

そして、発熱開始から17日目、入院から2週間が経って退院の許可をいただくことができました。

「退院できますよ。」と言われ、目尻に涙が浮かびました。

退院後はしばらくは自宅療養と体力回復を進めて下さいという御指示をいただきましたので、それに従って、徐々に日常の生活に戻していく努力をしていくことになります。

また、退院の許可が出たのと同時期になりますが、味覚と臭覚が少しずつ回復してきていることも感じられるようになりました。

まず最初に復活した味覚・臭覚は、フルーツの柑橘系の香りやシトラス系の「爽やかな香り」を感じる感覚です。

病院食のフルーツを食べた時に柑橘系の風味を感じられることに気付き、シャワーの際にも洗顔料に入っているシトラス系の香りを感じられるようになっていました。

少しずつではありますが、後遺症の方も回復しているようでした。

完全に回復するには、まだまだ時間がかかるかもしれませんが、少しずつ日常の生活を取り戻せれば…と。

入院生活で辛かったこと (体調面以外のことも)

病院での入院生活ですので、様々な場面で不自由を感じることになるのは当たり前です。

しかし、新型コロナウイルスの入院の場合には、一般的な入院とは異なる制限や環境の違いがあります。

以下の2点ですが、やはり辛かったので記録として残しておきたいと思います。

① 完全なる行動制限

まず一つ目は「完全なる行動の制限」です。

新型コロナウイルスの病床や部屋は、その病院の施設や患者の重症度によっても異なるのだと思います。

しかし、基本的に共通していることは自由に行動できるのは自分に与えられた空間 (部屋やセパレートされた場所) のみで、そこから外に出ることは一切禁止されていました。

部屋の外に出られるのは「検査」と「シャワー」の時だけでした。それ以外の時間は、ずっとベッドのある室内で過ごさねばなりません。24時間のうち、23時間以上は同じベッドの上で同じ景色を見て過ごすことになります。

ちょっとベランダに出て気分転換…というわけにはいきません。

部屋によっては窓も小さく、外の様子もほとんどわからない状況。

ただ、これは仕方ない事なので、何一つ不平不満を言うつもりはありませんでした。

残暑が厳しい8月末ですが、室温は26℃から27℃に調整されているので快適ではありましたが、それでもやはり隔離生活という環境は辛かった…。

外と唯一繋がっているのは自分が持参した携帯機器 (スマホ) だけ。

家族や親族に送るメールやラインだけが、自分の存在を外に知らせる手段でした。

有効なワクチンが完全に確立されておらず、誰がいつ罹患するかわからない新型コロナウイルス。入院での闘病生活は、罹患した本人にとっては、本当に自分との戦いでもあるんです。

② 陰圧室のための排気音 (工場の様な騒音レベル?)

新型コロナウイルスの病室の映像は、テレビ番組でもご覧になった方が多いかと思います。

その病室には、室内の空気を常に外に出すための排気装置が必ず設置されています。

コロナ患者の生活している空気を病院内に拡散させないために、コロナ患者の病室を全て陰圧にしておく必要があるからです。

そのため、常に排気装置から「ゴーーーーーッ」という排気音が鳴り続けています。

この排気装置は24時間運転しなければならないので、排気音が途中で鳴りやむことがありません。

排気音は装置の大きさや能力にも依存しますが、常に直近に排気装置があると、まるで工場の中で24時生活しているような感覚になります。

入院してからしばらくしたら排気音には慣れてきましたが、最初は休むのにも寝るのにも支障があるような感じでした。

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闘病期間の体重の変化について

新型コロナウイルスによる発熱が始まって以降、毎日体重計に乗って体重を測定していました。

その時の体重の変化についても、グラフ化したものがあるので以下で紹介したいと思います。

縦軸はコロナウイルス発症前の体重を基準とした時の体重減少量、横軸は日付となっています。

発症した8月14日を基準 (体重減少量がゼロ) として、8月末までの期間で約5kgの体重減少が起こりました。

コロナウイルスに罹患したことによる体重の減少がメインですが、普段あまり良くない食生活をしていた事や、病院でのバランスのとれた食事も影響したものと思います。

ただ、この短期間で体重が5kgも落ちると、体力面で相当しんどい状況です。

ベッドの上での生活が続き、筋肉を使わない生活が継続したので体力はどんどん落ちていきました。

入院の後半では、シャワーを浴びただけでも息切れがする、トイレに行っただけでも息が少し上がるといった症状が出るくらいでした。

病院の看護師さんからは、「人によっては10kg近く体重が落ちる方もいる」と伺いました。体重が落ち過ぎると、様々な弊害が出るので、療養中は可能な限り食べて体力維持を心掛けることが大事だと感じた闘病期間でもありました。

この記事の終わりに -医療従事者の方への感謝-

今回、無事に新型コロナウイルスの闘病を終えることができ、普段の生活に戻ることが出来たのは、医療従事者の皆様のサポートがあったお陰です。

本当に「感謝」の気持ちしかありません。心の底からお礼をお伝えしたい。

主治医の先生・看護師の方々は、自分が感染する可能性・リスクがあるのにも関わらず、暑い夏でも防護服に身を包み、患者一人一人に寄り添い、常に「困っている所はありませんか?痛い所はありませんか?」と、患者のことを第一に考えてくださる方ばかりでした。

今の日本の新型コロナウイルスに対する医療は、このような素晴らしい医療従事者の方々に支えられて成り立っているものなのだと、改めて考えさせられる入院期間でした。

しかし、現実として (2021年8月末時点)、今の日本の医療現場には新型コロナウィルスの患者さん全てを受け入れる容量が無いのが事実です。私の入院中も、看護師さんから「現在、この病院のコロナ病床に対して、数十人が入院を待っています。」と伝えられたことがありました。

このような医療の逼迫を解消するためには、

・一人一人が自分の行動を見直し、不要不急の外出を控え、感染リスクを下げる事。

・ワクチンの接種により自らに免疫力を付ける事。

そういった、感染抑制の基本的な行動をしていかないと絶対に新型コロナウィルスには立ち向かえないと思います。

この記事では、私の新型コロナウィルスの闘病記をありのままにリアルに記載をさせていただきました。

話を盛っている部分や大袈裟に記載している部分は一つもありません。

全てが私の経験した実話です。

まだコロナウイルスに感染されていない方にとって、この記事の内容が、少しでも行動を見直していただけるきっかけになれば幸いです。

コロナウイルスが終息するまで、皆で力を合わせて乗り越えていきましょう!

私も再感染とならないように細心の注意を払って生活したいと思います。

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